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Our Story

“創業期”
宍粟郡山崎町にて、肥料の商いを開始。干鰯や油粕、下肥など、農業に不可欠な有機肥料を扱い、田畑の地力を高めることで地域の安定的な営農を支えた。都市と農村をつなぐ流通の一翼を担い、暮らしを潤す営みは、やがて経済と社会を根幹から支える事業の礎となっていく。
  • “石油製品の取り扱い開始”
    煤の少ない洋灯油や潤滑油の普及に伴い、石油製品の取り扱いを開始。灯りの質は大きく改善され、夜の営みが豊かになるなか、「油本條」として親しまれた。地域に光と熱を届ける存在として、新たな使命が芽生え始めた。
  • “近代商業への対応”
    20世紀初頭、石油流通の広がりとともに本店を拡充。木造の大屋根倉庫と看板建築が並ぶ商家は、地域流通の象徴となった。在庫管理や掛売など信用重視の商いを築き、単なる物売りから信頼を結ぶ関係へと深化していった。
  • “物流体制の整備”
    肥料や石油の需要増にともない、荷車や人力輸送に代わる自社配送体制を整備。供給の安定と品質保持を両立し、商いは流通という領域へと広がった。変化する時代の流れを読み、次代の道筋をつくる挑戦が始まっていた。
  • “自動車輸送への参入”
    未舗装路が大半を占める中、フォードやシボレー車を導入し、動力車による貨物輸送を本格化。自社輸送部門を組織し、地域の生産物と都市の市場をつなぐ新たな物流網を築いた。運輸の力が、地域の産業を大きく動かしていく。

    シボレー車
  • “石油・自動車事業の拡大”
    1930年、本店にガソリンポンプを設置し給油サービスを開始。各支店を開設し、自動車部品や潤滑油の販売も本格化。エネルギーと部品の一体供給体制を整え、交通と経済の基盤を支える存在へと進化していった。

    洋館造りの本店にガソリンポンプを設置(山崎町)
    企業双六
    記憶の中に刻まれた存在──
    1930年代の
    双六に描かれた
    「本條猛二商店」
    姫路交通自動車双六
    (兵庫県立歴史博物館蔵)
    姫路交通自動車双六
    (兵庫県立歴史博物館蔵)
    昭和初期、国家による産業統制と都市計画が進むなか、公共啓発を目的とした一枚の「双六(すごろく)」が制作されました。そこには、交通・産業・医療インフラの要所が描かれ、地域を支える主要企業の名が刻まれています。これは単なる広告ではなく、地域社会と国家政策を結ぶ役割を担った企業としての社会的信頼の証でした。
    当時、本條猛二商店は燃料・油脂・生活資材の安定供給を通じ、近代化の基盤を支えていました。双六という文化的媒体に登場することは、企業が地域の未来像の一部として描かれていたことを意味します。この原画は、私たちが築いてきた歩みの象徴であると同時に、「暮らしと社会の土台を支える」という本條商店の理念が、すでに当時から形になっていたことを静かに物語っています。
  • “戦時体制下の統合と再発足”
    1943年、戦時統制の一環として、本條商店の傘下にあった山崎貨物自動車・三方自動車をはじめとする地域の輸送事業者5社を統合し、宍粟貨物自動車株式会社を設立。軍需や生活物資の輸送を担い、燃料統制や車両供出といった厳しい状況にも対応した。
    終戦後は、焦土と混乱の中で地域の暮らしを支える供給体制を一から構築し、1947年には(株)本條商店を再発足した。

    戦時統制下の食料配給

    戦後すぐの出張所開設(姫路市)
  • “戦後復興と業務近代化”
    車両不足に加え、基礎資材も極度に欠乏する困難の中で営業を再開。事業の再建と戦後復興に力を注いだ。1956年には三菱ブランドによる第二サービスステーションを、さらに1958年には第三ステーションを新設し、地域における安定供給体制を強化した。
    販売促進では営業車を活用したダンロップ製品の巡回プロモーションを展開し、専売法人「ダンロップ販売」を設立。燃料やタイヤ、自動車部品を含む複合的な商品構成で、暮らしと産業を幅広く支えた。

    ダンロップタイヤのキャンペーン

    三菱ブランドの給油所を開設
  • “新市場創造への挑戦と体制強化”
    1960年より次世代燃料として登場したLPガスの供給を開始。電気や水道のように生活インフラとして広く受け入れられ、炊事・給湯の常識を刷新した。ボンベ配送体制や保安管理を整備し、安定したエネルギーを提供。併せてCACTUSブランドと提携し、最新型のサービスステーションを新設。石油製品との複合供給による新たな事業モデルを確立し、エネルギーの多様化と暮らしの質の向上に寄与した。

    CACTUSサービスステーション
    事業の拡張と多様化を受け、1967年に(株)本條商店を分社し、①石油販売、②LPガス・住宅設備、③自動車用品・生活関連、④肥料販売の各分野に特化した体制へ移行。高度成長に伴うライフスタイルの近代化を見据えて住環境、ホームセンター、オートサービスといった新領域の展開による成長戦略の明確化を図った。

    当時のチラシ
  • 本條猛二の挑戦
    “戦後輸送の再編と
    都市拠点の構築”
    1947年、当時の本條商店社長・本條猛二により、宍粟貨物自動車が本條商店から分離独立。戦後復興期に急増する輸送需要に応えるべく、運送事業に本格的に乗り出した。1950年には社名を山陽自動車運送へと改称し、大阪〜岡山間の定期路線輸送に参入。営業エリアの拡大とともに、都市間輸送の基盤を整備した。1956年には大阪市に本社ビルを新築。ガラスブロックを取り入れた先進的な構造は「大阪初のブロック建築」として注目を集め、配車・整備・倉庫機能を統合した複合拠点として、全国展開の礎となった。

    東京路線開始

    大阪初のブロック建築となった本社ビル
    “全国展開と私鉄連携による物流革新”
    1960年代、山陽自動車運送は大阪〜東京間の路線免許を取得し、全国輸送網を本格化。拠点数は20カ所を超え、全国五大運送会社の一角へと成長した。1961年には日本トラック協会の使節団として代表が渡米し、全米トラック協会年次大会に出席。国際的な物流知見を深めた。さらに、宅洋海運を設立し、陸と海を結ぶ総合輸送ネットワークの構築にも着手した。1962年には阪神電気鉄道と資本提携を結び、私鉄との連携による都市間輸送の効率化を図った。これにより、鉄道とトラックの融合による新たな物流モデルが確立し、業界に革新がもたらされた。

    全米トラック協会年次大会で日本使節団の代表として
    スピーチする本條猛二

    ニューヨークマンハッタンを航行する安洋丸
  • “カーライフ事業の進化”
    モータリゼーションの加速に伴い、「ホンジョウオートセンター」を開設。カーステレオやフェンダーミラー、エアコンなど、当時の最先端を揃えた新業態の自動車用品専門店として、快適で機能的なカーライフを提案し注目を集めた。さらに共同石油(現在のENEOS)と提携し、支店網を拡充。拡大する自動車社会のニーズに応え、新たな流通とサービスのかたちを築いた。

    ホンジョウオートセンター(姫路市)
    共石ガソリンとプロパンガスの広告
  • “住宅関連事業の拡充”
    消防用設備の販売・点検業務に参入し、安全・防災分野へと事業を拡大。1977年に新設した新業態店舗「らぶりーホンジョウ」は、生活関連商材を扱う現在のホームセンターの先駆けとして注目を集めた。燃焼器具や住宅設備を軸に、新しい暮らしを提案する体制を整え、エネルギー供給と住環境の充実を両輪として、多様化する生活ニーズに応える新たなビジネスモデルを構築した。

    らぶりーホンジョウ(山崎町)
  • “ブランド転換とライフスタイル事業の推進”
    JOMOブランドへの転換を機に、カーライフ事業の充実に加え、生活関連商品を基本としたライフスタイル分野を推進。サービスステーションを単なる給油所から生活提案の場へと進化させ、地域住民の暮らしに寄り添う新たな価値を提供した。

    JOMOサービスステーション
  • “ブランド統合と事業拡張”
    石油元売りの再編に伴い、ENEOSブランドへ移行。地球環境問題への意識の高まりを背景に、次代を見据えたエネルギーソリューションの展開に取り組んだ。カーライフサポートや住宅関連事業の多角化を進め、温水暖房や家庭用燃料電池、太陽光・太陽熱の活用といった住宅の省エネ化にも対応。エネルギーと住生活を融合させたライフスタイル提案型サービスを本格化させた。

    ENEOSサービスステーション
  • “総合エネルギー企業への進化と環境対応”
    2016年の電力小売全面自由化に伴い、電力事業に参入し、既存の燃料供給ネットワークを活かして企業向け電力販売を開始。石油、ガス、電力、自然エネルギーのすべてをカバーする総合エネルギー企業として、地域のエネルギー需要に応える新たなサービスを提供するとともに、再生可能エネルギーの導入や省エネ機器の提案など、環境負荷低減への取り組みを強化し、持続可能な社会の実現を推進した。
  • “脱炭素・地域貢献の推進”
    コロナ禍以降は脱炭素社会への貢献を重視し、再生可能エネルギー電源開発や電力需給の高度化をすすめながら、省エネ・環境商材と組み合わせたエネルギーソリューションを提供。「トータル・エネルギーマネジメント」を推進し、顧客のエネルギー使用最適化を支援。地域の気候変動対策や防災連携にも寄与し、エネルギー企業としての社会的責任を再定義している。

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